正午、黙祷しました。
私の考え方や人生観、性格までも変えてしまったあの出来事から
12年の月日が流れました。
その時の2日前の同時刻に、ペッシャンコにつぶれた建物の中にいました。
また、その日も2時間違えば、三宮にいました。
人間の限界を超えた、想像を絶する世界でしたが
あの時から3ヶ月間ほどは、今は断片的にしか思い出せません。
今年で神戸を去りますが、
33年の神戸での仕事のうち3分の1以上が震災後になりました。
今は、ぽつぽつ見られる空き地に、震災のかげを見るだけになり、
その当時の様子を思い出すものはほとんどありません。
その日、近鉄で鶴橋までしかいけず、自宅に戻って、自転車で出発しました。
西宮あたりからは、道路に大きな段差があり、
自転車を担いだりして向かいましたが、
そのうちパンクし、自転車を乗り捨て、あとはただひたすら歩きました。
きな臭い煙の中を、火災の炎を明かりに、三宮に着いたのは夜中でした。
それ以降は、ほとんど記憶がつながりません。
3ヶ月の間に7時間から10時間をかけて、
2度ほど自宅に帰ったのを覚えています。
1日中夢遊病者のように眠っていたそうです。
もう一つ覚えているのが、当日が娘の入試だったことで、
鶴橋から天王寺・阿倍野まで、やはり歩いて試験会場までたどり着きましたが、
後日に延期になったということでした。
最近は余り思い出すことも少なくなってきましたというか、
思い出すのがしんどいので、無意識に避けているのだと思います。
これだけのことを書くだけで、どっと疲れが出てきました。
12年も経ったのに・・・